日本戦艦物語

日本が世界に誇った軍艦(戦艦、空母、巡洋艦、駆逐艦、潜水艦)についてのブログです

戦艦大和1940年8月8日進水

大和 (戦艦) 全長 263.0m 全幅 38.9m 排水量  64,000トン
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大和(やまと)は、日本海軍が建造した史上最大の戦艦大和型戦艦の一番艦。
Yamato[1]
太平洋戦争大東亜戦争)開戦直後の1941年(昭和16年)12月16日に就役し、1942年(昭和17年)2月12日連合艦隊旗艦となった。この任は司令部設備に改良が施された同型艦「武蔵」がトラック島に進出する1943年(昭和18年)2月まで継続した。1945年(昭和20年)4月7日天一号作戦において米軍機動部隊の猛攻撃を受け、坊ノ岬沖で撃沈された。
Yamato[2]
当時の日本の最高技術を結集し建造され、戦艦として史上最大の排水量に史上最大の46cm主砲3基9門を備え、防御面でも重要区画(バイタルパート)では対46cm砲防御を施した、桁外れの戦艦であった。建造期間の短縮、作業の高効率化を目指し採用されたブロック工法は大成功を納め、この大和型建造のための技術・効率的な生産管理は、戦後の日本工業の礎となり重要な意味をなす。
Yamato[4]
艦名「大和」は、旧国名大和国に由来する。日本の中心地として日本の代名詞ともなっている大和を冠されたことに、本艦にかかった期待の度合いが見て取れる。同様の名称として扶桑型戦艦がある。正式な呼称は“軍艦大和”。沈没してから半世紀以上が経過したが、本艦を題材とした映画やアニメが度々作られるなど、日本人に大きな影響を与え続けている。
yamato&musashi
フィリピン、レイテ湾上に仲良く並ぶ大和と武蔵。




戦艦三笠1900年11月8日進水

三笠 (戦艦) 全長 131.7m 全幅 23.2m 排水量 15,140トン
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戦艦武蔵1940年11月1日進水

武蔵 (戦艦) 全長 263.0m  全幅 38.9m  排水量 65,000トン
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戦艦長門1919年11月9日進水

全長  224.94m  全幅 34.60m  排水量 39,130t (大改装後)
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軍艦 長門
(ながと)は旧長門国を名前の由来に持つ日本海軍戦艦で、長門型戦艦の1番艦である。第二次世界大戦前は日本海軍の象徴として親しまれた。敗戦後は米軍に接収され、原爆実験に供され沈没した。

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完成当時の1920年(大正9年)では世界最初であり、かつ最大口径の16.1インチ(当時日本はメートル法を採用していたため実口径は41cmちょうど)主砲と、当時の戦艦の中では非常に高速である26.5ノット(公試26.443ノット)の機動力を持つ高速戦艦で、世界の軍事史や軍艦史にも大きな影響を与えている。
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2番艦の「陸奥」と共に各国海軍から注目され、大艦巨砲主義が最盛期をむかえていた列強海軍の熾烈な建艦競争にワシントン海軍軍縮条約による一定の歯止めを与えるきっかけとなったのも本艦であった。
Nagato03
完成後に連合艦隊旗艦となり、第二次世界大戦後に有名になった大和型戦艦大和」が戦中は存在そのものが極秘だったこともあり、戦前と戦中には長門・陸奥こそが日本海軍を代表する戦艦として国民から親しまれ、太平洋戦争開戦後の1942年2月までは連合艦隊旗艦として連合艦隊司令長官 山本五十六大将が座乗していた。 
Nagato04
太平洋戦争中は「大和」「武蔵」に次ぐ主力艦として温存され、終戦まで稼動可能な状態で生き残った唯一の日本戦艦である。
Nagato05

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